ひととき

2025/10/04 07:52

 ……釣れないかい?うん、海ってのは、こっちの都合じゃ動かない。

けど、そういうところが、悪くないとも思うんだ。

 釣りの話をしてたら、ふと、昔のことを思い出したよ。この港が、まだ「港」とも呼ばれていなかった頃のこと。
 当時この場所は、海でも陸でもない「あわい」だったらしい。波が引くと陸になり、また満ちると消える。寄せては返す、その間に、人や風や、願いの形がふっと留まる。そんな、落ち着くでもなく、去るでもない、不思議な場所だったって。
 ここに集まるものたちは、すぐには次へ行かない。少し寝かせて、香りや手触りを整えてから渡す。でもね、「整える」といっても、何かを変えるわけじゃないんだ。そのままの姿の奥にある願いに気づいて、それがこの場になじむように、そっと包む─そんな風だったらしいよ。
 港も、形が定まらず、波や人に合わせて柔らかく変わってたとか。
 やがて時代が巡って、ただ受け取って渡すだけじゃなく、「どう混ぜるか」に心を砕くようになった。遠くの風習も、道具も、物語も、混ざりながらここに残った。まるで鍋の中みたいに、ね。どこからが自分で、どこからが誰か、そんな線を引くことも、だんだんと薄れていった。
 そのうち、「混ざること」がこの土地の力なんじゃないかって言われはじめて。未完成なもの─たとえば扉だって、片方しかないのに開かれてる、それが良いって。少しだけ、未来の香りを添えるようにして。
 そしてこの場所は「渡しの都市」と呼ばれるようになった。物も言葉も、想いも行き交うけれど、渡すことそのものが目的になってきて……また、問いが生まれたんだって。「なぜ渡すのか」って。
 明確な答えはなかったらしい。でも、それでもね、「丁寧に渡す」ってことだけは、誰も手放さなかった。きっと、それが答えに一番近かったんじゃないかな。
 ……ああ、ごめん、つい長くなった。ほら、魚、釣れてたよ。バケツに入れておいた。ちゃんと次は、包んでから渡すね。今日はそのまま、混ざってもらおうか。